堺市文化館 アルフォンス・ミュシャ館

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2022/11/30 (水) お知らせ

康本雅子インタビュー【vol.2】 ――自分の感じたことを大切に、私はそれを踊りであらわしたい――(2/2)

どうしたら今の気持ちとフィットできるものになるか 

――公演やワークショップを通じて考えていることをここまで言語化されるようになったのは、何よりもダンス経験の蓄積であり、そして子育てを中心に康本さんご自身のライフステージが変わってきたからだと思います。

来年2月に上演していただく『子ら子ら』は、振付が決まっている意味では再演ということになります。他方で、初演から現在に至るまでの間の体験を踏まえて、今だったらこんなことを表現してみたいとか、こういうことに挑戦したいとかいうことはありますか。

初演が2017年なので、来年2月には6年が経つことになるわけです。実は、私は「再演」というのが本当に難しいタイプのダンサーなんです。やっぱり作品の旬というものがあるし、2年前に作った『ずいずい図』でさえ、再演はきついなぁと思うことがあります。やっぱり、当時のフレッシュな気持ちで制作・実演したからこそ成り立ったというところがあるので。どの作品も、その時に一番やりたいことを詰め込んでいるんです。だから、どうしたら今の自分の気持ちとフィットできるものになるか、というのを考えたいと思っています。

他方で、それができるのはとても楽しいことだとも思っています。共演する小倉笑ちゃん(1996~)も当時は22歳でしたが、今では26歳でちょっとお姉さんになっています。すると作品の雰囲気もまた少し変わります。昨日、来年2月に使用する会場を下見することができて、空間や背景が面白いと感じましたし、ちょっと美術的な想像も膨らみました。なので、今回の堺バージョンをどういう風にしようかなと、楽しみに考えています。

舞台なんだから、何が起きたっていい

――ありがとうございます。主催者としてもとても楽しみにしています。ところで、今「美術的な想像」という話が出たことについてです。康本さんのダンスについては、何か舞踏の方法論から構築されたものという風に見ようとするのは違う気がしますし、〇〇派などと何かの系譜の中で語ろうとすることもおかしなことのように思っています。

他方で、康本さんのダンスには、例えば『子ら子ら』には机やピアノがあってセリフもあります。それは他のダンスにはないとまでは言いませんが、言ってみれば演劇とダンスが架橋されているような作風に対しては、何かから影響を受けているのか、などと考えてしまいます。康本さん自身、ご自身の作品で言葉や舞台セットを用いることについて、何か考えていることや、意識していることはありますか。

舞台美術に関して言えば、自分自身で作りこむことはないのですが、あるとやはり舞台がガラッと変わるので、大切な要素だと思っています。『子ら子ら』について言えば、笑ちゃんがピアノを弾けて、かつ初演の会場が京都にあるUrBANGUILD(アバンギルド)というライブハウスで、そこにピアノがあったので、じゃあピアノを入れよう、ということになりました。あとは、座ってしゃべるシーンがほしかったから机が必要だと思って用意しました。

若い頃は、舞台セットにはそこまで興味もなくて、衣装も別にどんなものでもいいじゃないかと思っていました。けれども、今となっては、観客のスイッチが入る要素、舞台に引き込まれるきっかけって、ダンスの公演であっても踊りだけじゃないよね、と思うようになりました。その人がダンスを観慣れていないならば、それは音楽かもしれないし、衣装かもしれないし、舞台美術かもしれない。でも、そこが取っ掛かりになって、ダンスにも目が行くことがあるはずです。なので、空間全体を考えることは実はとても重要だと思うのです。


――言葉についてもそうですか。

『子ら子ら』にはやはり、ここは言葉がないとしょうがないよねというシーンがあって、そこにはセリフがあります。『わる子』にも、がっつりと詩を朗読するシーンがあります。私は、言葉を使うことには以前から全く抵抗がありません。もちろん、そのシーンだけは言葉が指す意味の世界になるので、それが演劇だと言われれば演劇なのかも知れませんが、私は別に、演劇かダンスかということを、そもそもあまり気にしていません。

ピナ・バウシュ(1940~2009)の作品は結構昔から観ているのですが、「タンツテアター(ダンス的演劇)」と呼ばれたピナの作品にも、作中で様々な言語によるセリフがあります。そういうのを知っていたので、ダンス作品に言葉があることについて、自分では違和感がないわけですけれども、観る人によっては不思議に思う方がいるかもしれません。

言葉じゃないと伝わらない部分はあると思うし、反対に、言葉を使わないでできる、あるいは言葉を使わない方がいいダンスも絶対あると思います。『わる子』にしても『子ら子ら』にしても、ここは言葉で言わなあかんやろ、みたいな個所があり、そこを言葉にしています。

私は言葉を考えるのが結構好きだから、振付を考えるように考えています。もちろん「言葉」なので論理的な意味の世界になってしまうのですが、それだけにならないように、ちょっと言葉遊びなども入れたりしています。言葉があるシーンであっても、私はそれを演劇だは思っていないのですが、他方で、言葉だからこそ伝わる領域が絶対あると思ってそうしたシーンを作っています。「ダンスだから言葉は使っちゃ駄目」「ダンスは言葉を使わないで身体で表現しましょう」というのはナンセンスだとすら思います。舞台なんだから、何が起きたっていい。ダンスに演劇が入ろうが、歌が入ろうが、映像が入ろうが、全然かまわない。

――いろんなところに観客にとってのフックがあって、例えば言葉でふっと引っ込まれた後に、さらにダンスを観るようになるとか、そういうことが起こるわけですね。いずれにしても、ダンスだけれどもダンスだけじゃないっていうところが、康本さんの作品の楽しみポイントなのかなと思いました。

最後に、読者の方に対して何かメッセージをいただけますでしょうか。

『子ら子ら』は、直近の上演から数えて約2年ぶりとなります。この作品を世に出してから、私の子どももかなり成長していて、今はまた違う気持ちでこの作品と向き合うことになるのですが、他方で、当初この作品を手掛けたときの感覚は、今もありありと思い出すことができます。逆に今だったらあんな作品は絶対に作れない。では、その時の気持ちを冷凍保存したものを出すのかというと、それは違うと思っていて、今自分が感じているリアルな気持ちを、今度の公演では付け加えたいと思います。

もちろん、多くの皆さんは始めてご覧になるわけですので、あまり細かいところは気にしていただかなくともいいのですが、私としては、今の私を踊りたいなと思っていて、それも楽しみにしていてもらえれば嬉しいです。

『子ら子ら』は母親と子どもとの関係がテーマの作品ですが、子どもがいない人には関係ないと思ってほしくないです。だって、みんな誰かの子どもじゃないですか。もちろん、自分の親のことを覚えている人もそうでない人もいるとは思いますが。それでも、観る人がそれぞれ、家族のことを想像する時間になればいいし、そうじゃない全然関係ないことを想像するのもいいし、とにかく、「すべての子ども」に観てほしいなと思います。

公募ワークショップの内容はこれから相談して決めていくことになると思いますが、現時点で担当の方からは、子育てに疲れていたり、悩んだりしている母親に向き合うような内容にしたいと聞いています。ワークショップでは、参加者が母親という役割を一時忘れて、一人の個人として解放されて、その時間をたっぷり味わってもらいたいなと思っています。

――今回お話を伺い、改めて、2月の公演とワークショップを通じて、コンテンポラリーダンスっていいなと思ってくれる市民の方が一人でも多く現れるように、財団職員一同頑張っていきたいと思いました。このたびはインタビューにお答えいただき、ありがとうございました。2月までどうぞ、よろしくお願いします。

ありがとうございました。よろしくお願いします。


202273日 フェニーチェ堺文化交流室にて
インタビュー・テクスト:常盤成紀
相川幸子

 

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